織物が無い「インド美術史」(4):クシャーナ朝
前回に引き続き、織物を含まない既存の「インド美術史」について紹介していきます。今回はクシャーナ朝を取り上げます。
1~3世紀頃にインドを統一していたクシャーナ朝時代の仏教美術は、ガンダーラ仏とマトゥラー仏に特徴づけられます。
ガンダーラは、紀元前6世紀から西北インドにある古代王国で、クシャーナ朝の元で最盛期を迎え、ガズナ朝に制服される11世紀頃まで存在しました。アレクサンダー大王の遠征に伴うペルシャ文化の影響が強く、仏教美術とギリシャ・ペルシャ美術の様式が融合した様式が特徴的です。
一方でヒンドゥー教の聖地の一つであるマトゥラーでは、古くからジャイナ教徒が住んでおり、土着のインド文化の影響が強い、影響肉感的で力強い仏像が多く作られました。但し、当初は仏像不表現の伝統が強かったので、如来(悟りを開いた仏)の姿であるものの菩薩(修行中の仏)として仏像を政策するなど、意欲的に仏像を作っていた事が垣間見られます。マトゥラーは、グプタ朝時代まで仏像の代表的な産地としての立場を確立し続けます。
ガンダーラとマトゥラーのどちらが先に仏像が制作されたかは未だ決着がついていませんが、両方特徴のある仏像が活発に制作されていた事には変わりありません。作風は基本的には大きく異なりますが、「仏の三十二相八十種好」に対応させた仏像を作るなど形式上の共通点は見られます。
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参考文献
[1] 金子典正編(2013)『芸術教養シリーズ4 朝鮮半島・西アジア・中央アジア・インド アジアの芸術史 造形篇II』幻冬舎
[2] 宮治昭(1981)『インド美術史』吉川弘文館〈宮治昭(2009)『インド美術史』吉川弘文館〉
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